やっぱりだめだった。12年付き合った彼に振られた話
とっても久々にブログの更新になりました。
これまで、同棲を解消したけど、関係は悪くなってなくて、、というような記事をいくつか書きました。
でもね、結果、やっぱりだめになっちゃったんです。
先日大きな喧嘩をして、結果もう別れたいと言われました。
あまりにも突然に、ということではなかったです。
ずっと、もう長い間、同棲中から、なんとかふんばっていたところがありました。
だから同棲も解消したわけなんです。
それが結局正直なことなんですよね。
でも認めたくなかったし、喧嘩もするけど、仲良しの時はこの上なく楽しくて、長く付き合って、深い結びつきもあり、これからもやっていけると楽観的に考えようとする自分と、でも、やっぱりもうだめだとめげそうになる自分とが、いつもせめぎ合っていたように思います。
大人になると、恋愛、特に付き合いが長くなると、本当に生活の、人生の中心的な課題となって、若いころみたいにキラキラしたものじゃなくて、もっとずっとリアルな現実なんですよね。
人生の中に占める重みも変わってくる。
結婚してもしなくても。
なので、正直、今とても打ちのめされています。
眠れないので、ブログを書いているといわけです。
何がいけなかったのかなぁ、っていろいろ考えます。
いけなかったことはいろいろあると思います。
私が精神的に不安定なところもあるし、迷惑かけた部分もいっぱい。
でも、なによりも、同棲したりしてお互いの生活ペースのすり合わせやら、仕事しなきゃならない日常とか、そういう目先のことに追いかけられて、いつしか、お互いがお互いを好きな気持ちを捕まえていることがおろそかになっていたのかもしれないと思うのです。
自分とは全く違う人と生きていく時に生じる本当に細かいことに振り回されて、いっぱいいっぱいになってしまって、相手が思ってくれることも、自分がどれだけ相手のことが好きなのかということも霞んでずっとうしろのほうにいっていしまった。
それが一番いけなかったよなぁって思います。
なので、このブログを見に来てくれた方で、同棲にちょっと疲れて解消したいと思っている人がいたら、
どうか、一度立ち止まって、相手があなたを想ってくれている気持ちをもう一度よくよく感じてみてください。
そして、同時に、自分がどれくらい相手のことが好きなのか、大切にしているのか、普段見えなくなっている思いをもう一度、感じてください。
そして、その相手を想う気持ちに自信をもってください。
なんで同棲までしてるのか。
それはやっぱり好きだからなんです。
もっと一緒にいたいと思ったからなんです。
週末に遊ぶだけじゃなくて、もっと人生を重ねて歩いていきたいと思ったからなんです。
それをどうか大切にしてほしいです。
12年はあっという間でした。
同時に長い時間でもありました。
振り返ってみても、少しずつかみ合わなくなった歯車の修正はとても難しかったと思う。
できることはしたと思う。
お互いの人間的タイプみたいなものも関係しているし、
簡単にこうすれば全部良かったということはないと思う。
それでも、今、残念でなりません。
もう一度、一緒に遊びたいと思う。
なくしてしまったものの輝きは、もう二度と戻らないのです。
自立しながら、パトナーと人生歩いていこうとするのは、ある意味結婚するよりずっと大変で、責任はないかもしれないけど、覚悟や人間力が試されるものでもあります。
いつだって終わっていいわけだからね。
私たちみたいに。
いつだって好きなところに住んでいいし、
いつ他の人を好きになったって、
別にいけないわけじゃないから。
だからこそ、本当に大切なものは、
その大切さを、いつも胸に置いておかなきゃいけないんです。
みなさんのパートナーシップを応援しています。
そして私は、おひとりさまだなぁ。
このブログはおひとりさまブログにする方向になりそうですw
私がいわゆる「断捨離」を辞めたわけ
「ミニマリスト」「断捨離」ということが言われるようになってずいぶん経ちますね!
多い=豊かという概念の再考という現代的ムーブメントとも言えると思います。
私も「よし、断捨離だ!」と思い、かなりの最小限ミニマリストを目指していろいろ断捨離した時期がありましたが、思うところあって、現在はやめています。
断捨離→断捨離やめる、というプロセスを通じて自分らしさについて深く考えることになったので、思うところをシェアしたいと思います。
- 「断捨離」をしようと思ったきっかけ
- とはいえ意外と捨てられるものは多くはなかった
- さらに捨てるものを考え続けたその後
- 引っ越しを期に物の総量をみることに、そして新しい家に
- 引っ越し前&後含め、私が「断捨離」は辞めたと言う理由
- どんなものが捨てられなかったのか
- 「断捨離」を辞めたと言って感じること
「断捨離」をしようと思ったきっかけ
「断捨離」をしようと思ったのは、引っ越しがきっかけでした。
当時私はエレベーターのない物件に住んでいました。
しかも6階w
築年数が古い物件だったので、エレベーターなしということもあり、広さの割りに家賃がかなり格安でした。
しかし、いざ引っ越しを考えたとき、
「これ全部持ってくわけか・・・」
とものすんごい気が重くなりました。
軽やかに、何事にも縛られず、自由に生きていきたいという私のポリシーからすると、大幅に多い。理想の中の私は鞄一つで引っ越ししているというのに・・・。
古めの物件だったので和室があり、立派な押入れがついていて、気づいたら結構な物量になっていたのでした。
その気の重さに圧倒され、引っ越しを軽やかに引き寄せるためにも断捨離じゃ、と意気込んだわけでした。
とはいえ意外と捨てられるものは多くはなかった
気合いを入れて断捨離をしようとしたのですが、捨てられるものって案外たくさんはありませんでした。
明らかにいらないものとか、もう絶対読まないであろう本や雑誌、何年も着ていない服はもちろんありましたし、そうしたものを捨てるのは簡単でした。
第一次断捨離にて、そういった簡単に捨てられるものをぱっと手放したのですが。。。
あれ?意外と減っていないw
確かに減ったんでしけど、減ってない。
もともとそんなに物をたくさん買いすぎるというほうでもないので、そんなに明らかな不用品て多くなかったんだな、という感じです。
そんな感じで第一次は終了にしました。
もう少し日々使う中で考えてみようということにしました。
ただ、この時は、使わないけど捨てるにはもったいないというたぐいの消耗品などは手がついていなかった感じです。
さらに捨てるものを考え続けたその後
第一次がそんな感じで終わってからは、日常の中で少しづつ不要なものはないのかチェックしていきました。
季節が変わると、季節のものを吟味したりしました。
少しづつ捨てる習慣がついてきたのか、はじめは捨てられなかったもったいない系シリーズ(未使用のノートとか、未使用の封筒とか、あんまり気に入っていない石鹸のストックとか)も結構手がつけられるようになり、このまま取っておいても結局使わないな、というのが時間とともに明確になり、少しづつ減っていきました。
さらに、好きな気がするけどほとんど出番のない洋服も少し減らしていきました。
捨てるか捨てないか迷うものは、一旦「捨てるか捨てないか考え中」の紙袋を用意して、その中に入れて押入れに突っ込んでおきました。
それでしばらく放置して、あったことさえ忘れているようなものは、要らない判定を下せたタイミングで処分しました。
そうしてじりじりと物を減らす努力をしていったのでした。
引っ越しを期に物の総量をみることに、そして新しい家に
そして引っ越しとなり、もちろんタクシーに鞄ひとつで引っ越すレベルには遥か遠く及ばず、引っ越し屋のダンボールに持ち物を詰めながら、自分の持ち物と改めて向き合うことになりました。
うーん、正直多いw
他の人と比べて多いか少ないかはわからないのですが、私的には、自分の理想と比べるとまだまだ相当多いなという印象でした。
そして、物のジャンルによって、多いものと少ないものとの差が激しいこともわかりました。それは多分、私が何を大切にしているかということの現れなんだと実感しました。物が多いジャンルのものは、ダンボールに詰めながら再点検したのですが、今の段階ではこれ以上減らせないと考え、結局そのまま新居に持っていきました。
新居は、前の家よりも狭い空間&収納スペースです。
特に前の家は押入れの収納力が結構あったので、新居の収納はほどほどの収納力ですが小さく感じました。
ダンボールに梱包されたままの状態だと、これ全部入るのかなってちょっと不安だったのですが、案外しまい方を工夫したら問題なく収納できました。
引っ越し前&後含め、私が「断捨離」は辞めたと言う理由
こんな感じでゆるく断捨離生活を一年弱くらいでしょうか、続けてみて、結局私は断捨離を積極的にやるのをやめました。
とは言え、要らないと思ったものは捨てるというのはある程度習慣化しているので、ふだんから持ち物をチェックはしています。捨てるか捨てないか迷ったものは、変わらず迷い中袋に入れています。
じゃあ、なんで「断捨離は辞めた」と言うのかというと、極限ミニマリストに憧れて断捨離を試みたものの、私は自分の生活には意外と物が必要だということが分かったからです。
あんまりそぎ落としすぎると、結局また買わなきゃいけないことになりました。
普段使わないからといってなんでも捨ててしまうと、いざというときに「あれがあれば」という場面に陥ったりしました。
なので、今は「これ要るかな」と思っても、「捨てるか捨てないか迷い中袋」に入れる前に「とりあぜずもうちょっと取っとく」という段階が増えました。
そうやって「とりあえずとっとく」とされるものは、毎日は使わないけど、あるとちょっと楽しいものとか、サイズが微妙な気もするけど、はきたいときもあるかもしれない便利系のズボンとか、夏に気分を上げるワンピースとか、なくても生きていけるかもしれないけど良いにおいのボディークリームとか。どちらかというと気分を盛り上げてくれたり、元気がでたり、楽しみのためのものだったりという「余剰」な物でした。
確かになくても困らないかもしれない。でも、あったら楽しめるのなら、大事に使うのもありだと思いました。それに、人生って、結構「余剰」な物が必要な部分もあると思うんです。一見「余剰」に見えるけれども、それによって生まれる時間がかけがえのないものになることもあると思いました。
どんなものが捨てられなかったのか
実際、私が捨てられなかったものはどんなものなのか、また、捨ててしまって後悔したものは何か、挙げてみたいと思います。
・キッチン用品
キッチン用品はほとんど減らせませんでした。料理が好きなのです。日々は忙しいので大したものは作りませんが、たまにしっかり料理するのは最大の癒しなのです。その中でも迷ったのは、たい焼き焼器w。面白がって以前買ったもので、あんこだけでなく、フルーツとかを中に仕込んで、生地はホットケーキで焼いて遊ぶためのもの。たまにしか使わないけど、なんとなくまた焼きたかったw
・家具
家具はあんまり持っていないのですが、悩んだのは、小ぶりのイケアで買った3段チェスト×3つ。パイン材の色がさわやかで、一つ一つは小ぶりなので、割といろいろな置き方ができ便利に使っていました。とは言え、小ぶりなので収納力は今一つ。かといって場所は取られる。迷った末に捨てませんでした。新居で未だに「無くてもいいんじゃ」と迷うこともありますが、捨てなくて良かったと思った理由は見た目。この家具があることで、部屋が自分のお気に入りの感じが出るからです。殺風景な感じが和らぎます。でもまだ少し迷っていますw部屋がもっと広かったら絶対捨てないと言えるのだけど!
・ボディークリームとか癒し系もの
これは断捨離に併せてスキンケアもシンプル化したので手放したものでした。基本保湿はオイル一択みたいな風にしていたんですけど、ボディークリームのあのすべやかな塗り心地と香りが欲しくなって、結局買ってしまいました。大量にあって使っていないなら問題だけど、この手の癒し系のグッズは自分には割と必要でした。正直、お金一杯あったら、いろんな香りのやつをそろえて気分によって使い分けたいとか思うのです。お手入れ系、癒し系は人によって必要なものに差があるとは思いますが
・バッグ
バッグも結局全然減りませんでした。それでも捨てたんですけど、減らせないものばっかりwバックって、バックが変わるだけでちょっと気分が変えられるという感じで、便利な小物だと思うからです。結構愛着があるものも多くて、決断できないものが多かったです。あと、私の場合は目的別のバックも結構あって。旅行用とか、サイクリング用とか。って大して行きもしないんですけど、なんか手放しづらくて。でも結局、日常使いにはいつものルーティーンになりがちなので、今後も様子を見つつ絞っていけたらなと思います。意外と場所取るし・・・。バックはもう完全に精神的なものだなと感じましたねぇ。利便性とかじゃないです。捨てられなかった理由って。なんかこうそれがなくなると寂しい感じが一番強かったですね。うーん、まだまだ修行が足りませんねw
・いざという時の服
これは実は逆に結構捨てちゃったんですけど、ちょっとキレイ目な恰好をしたいとき用の服とか、それにまつわる小物類だとか、そういうのは場所取って一見不要品みたいに見えるんですけど、いざ何かっていう時に困って結局買うことになったというのが2回くらいありました。服は意外と手に入りやすいんですけど、関連小物とかって、意外と探すのが大変で、それに労力使うのがばかばかしい感じがしました。ミニマルな生活には必要ないのですけど、やっぱりあったほうがいいと思います。最低限に絞るより、最低限+αって感じで考えるほうがいいなって感じています。
「断捨離」を辞めたと言って感じること
こんな感じで、失敗も含め断捨離をしてみて、自分に必要なものがなにかだんだんわかってきました。これこそが断捨離で得られるものなのかもしれません。
断捨離は辞めたけど、じゃあミニマリストなのかということについても、ちょっと微妙です。ミニマリストは正確には「最低限自分に必要なものだけで暮らす」ということであって、やたらめったら物が少なければいいということではないみたいですが、とは言え、普通に結構物持ってたらやっぱり「ミニマリスト」っては言えないと感じますし。
断捨離も辞めたし、ミニマリストでもない
というところだと思います。
でも、自分と物との付き合い方、向き合い方はいろんなところに影響があります。好きなこと、好きなもの、ライフスタイル、お金の使い方、そういった人生の根幹を見つめなおす作業に直結するのが、自分の所有物と向き合うことだと思います。
だから、「断捨離」を通じて得た物を日々チェックしていく習慣はこれからも続けたいと思います。
そういう風に考えられるようになったのも「断捨離」をしてみた結果なので、まだやったことないっていう人には「断捨離」オススメします。
意外な発見があるかもしれません。
私の場合は「私、思ってたより物が必要」ってことでしたw
それでは、今日も読んでいただきありがとうございました!
パートナーとの関係を劇的に良くする方法
ここのところアクセス解析のことばっかりに記事が終始していましたので、今日はパートナーとのことを書きたいと思います。
私は、付き合って11年で、6年間同棲したパートナーがおります。
こ数か月前に同棲を解消し、現在は徒歩20分ほどの距離にそれぞれ一人暮らししています。
同棲解消についてはこちらに書いてます。
私の場合、はじめの4~5年は、彼の家に私が入り浸る感じの生活で、週の半分か、多い時には一週間ずっと彼の家で過ごすというパターンでした。当時は彼はひとり暮らしでしたが、私は実家暮らしでした。
その後、私が実家を出ることになり、利便性&家賃節約のため、同棲を始めました。
同棲中はいろいろありました。喧嘩も一杯したし、いやになったことも、別れようかと本気で思ったこともありました。
それは、お互い狭い空間で寝食を共にしていたことによるストレスもありましたけど、今思えば、私自身の心の問題が主だったと思います。
同棲解消に当たり、先に家が見つかった彼が引っ越し、私のほうはなかなか良い物件が見つからず、半年くらい同棲していた元の家で生活しました。
その半年間は、冬だったこともありますが、ちょっと置いてかれた感もあり、結構寂しかったです。
新居に引っ越してからは、気分も変わり、自分だけの空間で、だんだんのびのびしてやっていけるペースになり、今は楽しく暮らしています。
とはいえ、はじめはペースに慣れず、ギクシャクすることもあり、逆に喧嘩が増えた時期もありました。
その間、私自身、いろいろ自分の心の整理みたいなものをしていたこともありますが、あることに気づいてから、劇的にパートナーとの関係が良くなり、喧嘩も全くしなくなったので、その方法をシェアしたいと思います。
私の場合、喧嘩の原因は、大したことじゃない場合がほとんどでした。
彼はお酒も飲まないし、浮気もしないし、糾弾すべき問題みたいなのからは縁遠い人で。よく人からは、優しそうな彼でうらやましい、と言われました。
なのに、私の心の中は結構違って、優しくないとは言わないけど、結構デリカシーないこと言うし、ぶっきらぼうなとことか、いろいろ大変なんですよ実際は、みたいな感じで思っていました。
心のどこかで彼に対して不満があり、でもひとつひとつは小さいことだから、なんかスルーして溜めちゃったり、溜め込むもんだから、ちゃんと適切に「もっとこうしてほしい」と言えずに爆発したりw
とにかく些細な言い方とか、言ったこととかに引っかかって、ムキーってなって喧嘩になる、というパターンを密かに繰り返しておりました。
いろいろそういうことについて彼と話し合って、何とか改善しようと散々いろんなことを試してみたんですけど、これといって効果がなく、また繰り返してしまう、という状態でした。
それが、あることを知ってから、劇的にそういうことがなくなったのです!
そのあることとは「代償行為」というものです。
たまたま心理学に詳しいある知人と話していた時の事。
彼と結構喧嘩しちゃうみたいなことを話していて教わりました。
ネットで調べてみると、自己防衛である防衛機制というのがあるんですけど、その一種のようです。
防衛機制(ぼうえいきせい、英: defence mechanism)とは、受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズムである[1]。欲求不満などによって社会に適応が出来ない状態に陥った時に行われる自我の再適応メカニズムを指す。
というものです。自分を守ろうとして、ちょっとこんがらかったことになりがちなやつです。
代償行為というのは、この仲間で、自分が本当はしたいことができないために、それをできそうな相手に代わりにやっちゃうというものです。
例えば、父親に不満があるけど怖くて何も言えないとします。その不満や抑圧された感情を、学校の教師に歯向かうことで代償する、みたいなことです。
誰を代償の相手とするかは、パーソナリティーにもよると思いますが、甘えられる相手や、身近な人がやっぱり多いのかなと思います。
私の場合はパートナーにその矛先が向いていたんです。
代償行為という概念を仕入れてから、彼に対してイラっとしたとき、心のなかでどんな思いがするか、どんな感情があるかについて良く観察するようにしてみました。
そうすると、いろいろな場面で、本当は目の前にいるパートナーではなく、過去親に言われたこととダブっていたり、その日あった嫌な事が原因だったり、そういうことを発見できるようになりました。
一番わかりやすかったのは、久々に妹と会った日の事。
私と妹は、180度タイプが違うので、たいてい「なんでそうなわけ?」というのがあるんですw
甘ったれてて、依存的な考えをしがちな末っ子の妹なのですが、自分の態度に全く無自覚で。自覚したいとも思っていないというなかなか困った人で、彼女のわがままでとばっちりを受けることも多々ありました。
だから私としては、本当は言いたいことが一杯あるわけです。
これまで、それを正直に話したこともあったんですけど、彼女には全く通じないんですよね。良かれと思って言っても、嫌なこと言われたと決めつけられたり。
なので、最近はお互い大人だし、とあまり言わなくなってました。
その日も、いろいろ突っ込みたいことあったんですけど、心に収めて帰ってきました。
自分では、言わなかったことは良かったと思うし、うまく心に収めているつもりでした。
でも、どっかにひっかかりがあるわけです。
言いたかったことや、そんなことでどうするんだろうっていう姉的心配とかが、なんとなく頭をぐるぐるしてしまったんですね。
で、次の日。
彼とLINEでやり取りしていて、また些細なことに私が引っかかってしまい、喧嘩調になりました。
なんでそんなこと言うの?
だいたいさ~
みたいな。
それで気づいたら、彼のここが悪い、これも嫌、これは直して、と、彼の悪いとこ探しみたいになっていたんです。
自分でもなんでそんなにつかかってしまうのかよくわからない感じもありました。
それで、ひとしきり喧嘩して疲れて、良く考えると
あ、これって、本当は妹に言いたかったのに何も言えなかったから、代わりに彼に色々言って解消しようとしたんだ、と思いました。
それに気づいて、うわ、バカだなって思いましたけど、本当にそれやっていたんです。
そうやって、少しづつ分析&観察を繰り返していたら、そもそも彼の言動に引っかかること自体、過去のトラウマと紐づけて、勝手にバイアスかけて解釈した結果だということがよくわかってきました。
もう一つ例を挙げると、
私は出かけるとき、彼より自分の支度が遅いとちょっとテンパる癖があったんです。
今までは、なんだかんだ言って、待たされると彼がちょっと不機嫌になるせい、と思っていました。でもよーくよーく冷静に観察してみると、彼は特に不機嫌になっていないんですよ。で、あれ?じゃあなんで私一人でテンパってんだろう?って考えてみたら、うちの父は、私が子供のころ、母の支度が自分より遅かったり、何らかの理由で待たされたりするとめっちゃ不機嫌になって「早くしろよ」みたいなことを感じ悪く言ったり、最悪の場合、キレたりする人でした。
それを見ていて、子供の私はいつもはらはらドキドキしていました。
母の支度&出かけるためのもろもろの準備の進捗を見ながら「あー、このペースじゃまたお父さんがキレるや。。」とヤキモキしていたんです。
父が怒ったり、不機嫌になっているのを見るのは、私にとってはものすごい不快であり、恐怖でもありましたから。
その少女時代の傷を、大人になって、似たようなシチュエーションで勝手に感じていたわけです。父親のポジションをパートナーに投影して、勝手にテンパっていたわけです。
あちゃー。
でも、こういうことって、不思議で、自覚すると、ふっと消えてしまうんですよね。
ただ気づかれるために、何度も似たシチュエーションで「思い出して!この感情未消化だよ!」って言ってきてるみたいな感じがします。
それで、そのことに気づいてから、出がけにテンパることは一切なくなりました。
なんだろう、単に「そっか、出がけに父が不機嫌になるの見るのすごい怖かったよね」って思って、そのことを感じただけなんですけどね。それも一度だけです。
ただ穏やかに「あー、子供のころそうだったなぁ」ってしみじみ思った程度。
それで、何かが解消されて、彼が出がけに待たされると不機嫌になっていると感じることも一切なくなったのです。
こんな感じで、代償行為、何かの置き換え、というものによってパートナーとの関係がうまくいかなくなる場面、喧嘩しちゃうことが、きっと誰にでもあると思うんです。
でも、代償行為だって気づければ、彼を責めなくなるので、喧嘩にならないし、なぜか、そういうシチュエーション自体がなくなっていきます。
また、そのとき感じていることをありのままに感じられるようにもなります。
そうすると、リアルタイムで自分がどんなストレスを感じているのか把握できるので、適切に対処することができ、色々と大して問題じゃなくなります。
良いことずくめw
その結果、関係が劇的に良くなって、今では付き合いはじめくらいラブラブになりましたw
今までは、何か嫌なことがあると、彼のせいにしていたのがなくなって、彼を全面的に肯定し、尊重できるようになりました。しかもすごく簡単に。
代償行為について気づいていくプロセスは、結局、「一切を人のせいにしない」という態度に繋がっているのだと思います。
嫌なことがあったとき、原因を外に求めず、まず自分の中を探る。
「問題の原因はすべて自分のなかにある」と考えていく方法です。
でもこれは自分に厳しいとか、自分を責めるということとは全然違います。
ただ、自分が本当に感じていることを深くまで見て、核を見つける作業です。
そこには、自分を含めて、誰に対しても責めるというアクションが入りません。
ただ、あのとき悲しかったな、とか、怖かったな、とか、そういう風に思うだけで、自分の感情だけを発見できればOKなのです。
焦点は自分自身なので、実際の嫌な事をしてきた相手に着目することはありません。
(これは不思議なんですけど、目的が違うからなのか、よくわかりませんが、例えば先の父が出がけに不機嫌になるというトラウマ的なのを思い出した時も、だからと言って父がどうのという思考にはなりませんでした。努力してそうだったわけではなく、自然にならなかった感じです。なので、なんか健全さが失われません)
自分の中に原因があるとして人と向きあう。
他人は自分の鏡だといいますが、つまりはこうやって、自分が自分の心を勝手に相手に映して見ているにすぎないのですよね。
それがわかれば、いろんな問題が消えていきます。
ぜひ、いろんな人間関係で活用してもらえたらな、と思います!
では、ずいぶん長くなりましたが、
読んでくださってありがとうございました!
HSPだったことが発覚した件!
突然ですが、自分がHSPだったことが発覚しましたw
まず、HSPってなんぞやってことなんですけど、これはハイリー・センシティブ・パーソン(Highly sensitive person, HSP)のことです。最近注目されてるみたいで、コンビニでも本を売ってるのを見かけました。
簡単に言うと、あらゆる刺激に過敏な人です。
あらゆる刺激というのは、視覚や聴覚、触覚にとどまらず、例えば人の言動なんかにも大変に敏感であり、ものすごい細かいところが気になってしまうため、色々思い悩んだりすることが多いということも含まれます。
セルフチェックテストなんかもあるので、気になる人は試してみるといいかもしれません。
チェックリストをまとめてくださってるブログを見つけたので、リンク貼っておきます。
https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/tomo-chouchou/entry-12345873835.html
私はもともとちょっと精神的に過敏でした。なので、これまでは心理学的な部分で自分自身を見ていて、落ち込みやすいことや誰かに言われた些細な一言が気になって仕方がなかったりすることについて、心理学的な問題に結びつけていました。
それに、両親も不仲であったりと、トラウマも多く抱えているので、まぁ、しょーがないよねぇー、みたいな感じでやってきたわけです。
とはいえ、行きずらすぎっだろ、っていう生活が続いていました。
心の葛藤は、少しずつ取り組んできたことと、自分自身の経験値が年齢と共に増えていったこともあり、かなり減っていったんですけど、それでも色んな辛さが残ってました。
しかも、原因不明。
そんな中、6月に、ネットを色々見ていたら、HSPっていうのを発見したんです。
特徴がぴったりすぎる。
と何冊か早速本を読んで研究。
それによって、今まで不可解だった自分の色んな行動がすごい明確にわかったのです。
それで、HSPだという仮定のもと、今までやってこなかった対策を試しました。
そしたら効果テキメンだったわけです!!
なんだ、そーゆーこと?
って目からウロコでした。
今まで自分が過敏だなんて思いもしなかったからなー。
特に即効性があったのは、音への対策。
わりと音に過敏だとは思ってたのですが、思い切って耳栓とイヤーマフを購入。
部屋にいるときに付けて、外の車や子供の泣き声などの騒音をシャットアウトすることで、格段にリラックスできました。
また、出かけたとき、お店の中やショッピングセンターの騒音でだんだんパニクって、疲れていき、結果パートナーに八つ当たりするという流れを発見し、そこでも耳栓などを使うか、早めにお店を出るなど、疲れないようにしたところ、負担が減り、疲れにくくなりました。
音にかぎらず、例えば仕事中も、色んな刺激でだんだんおかしくなっていくので、業務過多にならないように気をつけ、なるべく残業せずに早めに帰る、お腹が空くとテンパるから、適切なおやつを用意するなど、工夫するように心がけたところ、全体として、余裕を持って一週間を過ごせるようになりました。
HSP対策って、結局はセルフケアなんですけどね。ひとつひとつは大したことないものでも、自分のウィークポイントがわかって、適切に対処できるっていうスキルって本当に大切なんだなぁっておもいました。
HSPに完全に当てはまらないなっていう人でも、過敏さっておそらくスペクトラム状の程度差でもあると思うので、HSP対策に準じたものを試すことで、毎日が楽になるっていう人は結構いるんじゃないかとおもいます。
ちなみに、私のパートナーと母は、完全なHSPではありませんが、部分的に過敏な面があり、音や、人の気に過敏なところがあるので、ちょっとそこのところ注意してみるだけでも楽になったみたいです。
人生は、結局のところ、自分自身を知ってゆくプロセスなのかもしれません。
自分を知り、良さも悪さも大切にしていくことが、心身の健康に、良き人生に、やっぱり大切なんだとおもいます。
ありがとうございました!
引き寄せか、運命か。ついに引っ越し決まる!!!
こんにちは!
ついに私の引っ越し先が見つかりました!!
いやー、長らくかかったー。
結局パートナーが先に引っ越した郊外の町(私はむかしからなじみがあり、実家も近い)にねばってみつけました。
最初に不動産屋を訪れてから、丸一年www
ねばりすぎですが、どうしても他の場所に住むイメージが持てず、いろいろな利便性から考えても私もそこに引っ越せるのがベストだったので、ねばりました。その場所自体、一人暮らし向きの物件の数が少ない上に、近年人気がすごいある場所なので、なかなか空きが出ないという状態でした。
結果、1Kと現在同棲していた部屋よりも狭くはなりますが、設備、立地、方位など納得いく物件が見つかったのでGOサインとしました。
いやー、しかし、東京家賃高すぎでしょw
金額が高いというか、しょぼい物件ばっかすぎる。
10万近く出してもミニキッチンとかザラにあるし。
場所によってはもちろん相場が安いところもあるけど、環境がいいところはアホみたいな物件にアホみたいな値段がついてる。
東京は本当、住環境悪いです。
ライフスタイルを、会社行って、帰って寝るだけ、ってのに設定しないと暮らせないとこばっか。
最近では建設費が値上がりしているので、新しい物件も数は少ないし、めっちゃ高いし。古い物件でも狭いとこばっかだし、設備最悪だし。
いやはや、厳しいですよ、ホント。
で、今回引っ越しを決めるにあたって、不思議なことがありました。
決めた物件を内見に行く一週間くらいに、急に、部屋にいて、ちょうど天気の良い気持のいい朝だったんですが、
「あ、もうすぐ引っ越すかもしれないから、思い出に写真とっとこ」
パシャリ
何気なく思い立って写真とったりしたんです。
それでちょっと思い出に浸ったりしてみててw
そしたら、その数日後、新しく掲載されていた新居をネットで発見。
すぐ内見を申し込みました。
聞けばちょうどクリーニング終わって、一番乗りの内見。
それであれよあれよと決まっていったのでした。
振り返ってみると、あの日、「もうすぐ引っ越すかもしれない」とふと思ったのが、何かの啓示のようなもんだったんだなぁと思います。
新居は引き寄せで引き寄せてやるーとか意気込んでたんですけどね。
これは果たして引き寄せたのでしょうか。
確かに、家のイメージングはやってたんですけど、そのイメージでは1DK希望でしたw
ただ、現実的には1DKに住むんだったら10万くらいの家賃を出さないといいところはなさそうでした。でもさ、家賃10万って、ちょっと悩みますよねw
高くねw
というわけで、もう少しコンパクトなライフスタイルでも構わないよねという発想で1kとかも悪くないな、とか、思考がゆらゆらしていたんです。
なので、今回はあんまり引き寄せた感、つまり、セオリー通りの引き寄せ方法でいけた、という感触はないんです。
ただ、この冬から春にかけて自分の内面の大掃除的なものに取り組んだので、その効果として現実がいろいろ変化しているっていうのはあります。
実際、給料も上がりました♪
先の啓示のこともあり、自分では、今回は私自身がかわったから、現実が変化している。その過程の一つとして住む場所も変わるよ、っていう流れにあるように思うのです。
それの流れを感じていると、引き寄せというよりは、もう少し運命みたいな、そんなある方向性を持った流れみたいなものを感じるんです。
これが欲しい、欲しい、って願って手に入るタイプのものとは違って、自ずから開かれていく道の上にいるような感覚です。
そういうときって、自分がどこか正しい場所にいることができているようで、どことなく爽快感があります。
でもこの運命みたいなやつも、自分の内面の現実化の一環として立ち現れているのであれば、それは引き寄せと同じ理論を持っているわけで。
運命というと、もっとがっちり決まっちゃっている、逃れられないもの、みたいなイメージを持ちますが、実はそうじゃないのかもしれないなと思います。
自分が、自分と向き合って、もっとこうなりたい、ここを変えたい、よくしたい等、そういう発想で恐れやネガティブなものを精神的に超えてゆく結果として見えてくる景色、それを運命ともしや呼ぶのではないか、と思います。
最近、親へのわだかまりをかなり手放せてからというもの、不満というものがあんまりないんですよね。以前は不満だらけだったけど、その慣れ親しんだものをガサガサ探してみても、あれ?ないw、ってなってます。
もちろんダメダメな日もありますけどね。
今後の課題は、慣れ親しんだ「未来を恐れる癖」を如何にして手放せるかってことです。
不満もないし、なんか心が凪だと、なんか落ち着かないんですよw
慣れてないからw
それで、いや、まてよ、今はなんか平穏ぶってるけどさ、そのうちドカンって、それ見たことか的なハプニングが起こるかもしれない、とか考えちゃうんですよw
それをやめたいw
そうすれば、もっといつもハッピーパーソンになれて、お金も入ってくるかもしれないからね♪←結局欲しいのはお金w
というわけで、一か月内に引っ越しです!
新生活はじまる!
ありがとうございました!
もっと自由であるために真面目すぎる事を反省してみる
ここのところ思ったのですが、なんか真面目にやろうとしすぎてないかい、自分?と。
これは、私だけでなく多くの人に当てはまると思うんですけどね。
大人でいるために一生懸命真面目にやろうとしている気がするのですよ。
うーん、いつからこんな真面目になったんだw
色々と思い返してみたんですけど、大人になるにつれて段々と身構えることが増えてきた、そんな気がしました。
失敗しないようにしよう、誰かに何か言われないようにしよう、ちゃんとしよう、ってそんなことばっかりに振り回されてるような気がするんですよね。
それで、そのことを考えてたら、ちゃんとしよう精神って、結局は恐怖心の裏返しなんじゃないかって思ったりしました。
冒険したり、アホやったり、自分を貫いたり、そういうことが段々できなくなる。
周りから逸脱する恐怖心とか、大人としての責任を果たせないんじゃないかっていう心配とか、この歳だったらこれができないと、とか、なんかややこしい考えをしてるんじゃないかって。
思い返してみると、子供の頃ってもっと自由だったよなぁ、って思いました。
遊びたいから遊ぶとか、お腹すいたとか、そういう自分のまっすぐな欲求に自分自身がすごくストレートに反応してたなぁって。
怒られることとかもあるんだけど、それでも自分のその時の思いやフィーリングと自分自身に距離がないというか。
なのに、なんでなんかこんな狭っ苦しいところに自分を閉じ込めてるんだろう?って。
大人は確かに色々と責任があるし、やらなきゃいけないこととかも多い。人に迷惑をかけないとか、そういう人として最低限のことはきちんとやるにしてもそれ以上に真面目になって必死になる必要ってどこにあるんだろう?と思うのです。
私は仕事の帰りが遅くなることがしばしばあるんですけど、そうすると木曜とか金曜とかって、駅の中に飲んだ帰りの人が結構いたりするんですよ。
そういう人たち見てると、なんか老若男女、結構下らない話でケタケタ笑ってたらして、学生みたいなノリの人も多くて。
おじさんとか、会社では誰かの上司で、人によったら係長とか部長とか、そういう立場の人もいるんだろうけど、お酒でタガが外れるとみんなただの人でw
しょーもないオヤジトークとかしてたりねw
そんなもんだと思うんですよね。みんな楽しいことしたいし、いつも笑っていたい。
でも、飲んだときは出来るけど、昼間はピリッとしてなくちゃってなって。
なんか、そういう姿を見てると、マトモとか、普通は、とかそういう範疇で生きていても、結局はみんなで大人ごっこしてるにすぎないと思うんよね。
もちろん社会のルールとか、常識とか、そういう要素と相まって、大人ごっこする必要もあるわけなんですけど、所詮ごっこ遊びと大差ないんだから、なんか真面目に真顔でカリカリやるのやめたほうがいいよね?って思ったんです。
どんな風に生きても、いけないなんてことはなくて。もし、何かに制限を貸しているとしたら、それは自分で自分にそうさせているだけなように思いました。
ねばならない思考を自分で自分世界のルールにしてるよなぁってつくづく感じました。
それで、もっと自由であっていいと、自分に言い聞かせてみることにしました。
自由って結構難しい概念だと思うけれど、トライアンドエラーで少しづつ自分に合った形を探して行けたらいいよね。
まずは真面目にやらなきゃいけないって囚われているところを探すところから。そしてそれを一つ一つ破って行く。そういう取り組みが必要だと思うのです。
人生一度きりだし、もっと自由に楽しく生きて、後悔なく進みたいなぁと思います。
自由についての語り方は色々あるけれど、私の中では、スキップしてる感じw
スキップして仕事行って、スキップしてランチして、スキップで帰ってくる。
そんなテンションで日々送れたら最高幸せだよね。
そこがどこであっても、何をしていても、スキップできる心の状態で生きて行くのが私の理想ですw
時には誰かと一緒にスキップして、また一人でスキップする日もあって。雨の日は傘をさし、風の日は追い風に乗って、そんな風に過ごすのが、なんというか地球のくらしなのかなぁと思ったりする今日のの頃です。
実際に道をスキップするのは正直だいぶ恥ずかしくて無理だけどねw
読んでいただきありがとうございました♪
【6年の同棲解消】一人暮らしになって一月たったので経過報告
同棲解消して一ヶ月たちました(祝)
一人暮らしです。
今回、私も引っ越す予定だったんですけど、全然良い物件がなく、彼のほうが会社の近くに新居を借りて引っ越していきました。
なので元の家で一人暮らし。
この家は元々二人で暮らす前提だったので、振り分けの2DK。
同棲のくせに2DK?
と思われる方もいるかもしれませんが、まず、同棲以前の半同棲(私が彼の家に入り浸っていた)時代に、彼の家は1DK。寝室も一緒。
で、これだと疲れるね、という結論が出ていたので、一緒に住むにしてもそれぞれ別の部屋を持とう、という話だったのです。
一つは5.5畳、もう一つは6畳。キッチンはギリテーブルが置ける程度でほぼ通路。二つの部屋の間にあります。
それぞれ部屋持ってて、それでもだめで一人暮らしってどういうこと!?
って思われるかもしれません。
そこは、なんというか、確かにそうなんですけどw
私たちは二人とも結構神経質で、音に過敏だし、自分のペースで生活したがりだし、というわがままなんですね。それで、お互い仕事の出勤時間や帰宅時間もまちまちで、遅く帰ったけど寝る前に一息いれつつキッチン使いたい、でももう一人は早く寝たい、とか、そういう小さなストレスがだんだん溜まってきた感じでした。
それで、彼が仕事場が結構遠かったこともあり、引っ越すことになったわけです。
そうして一月。
私たちは、同棲解消しても別れていません(今のところ)。
週末は普通に会います。
これまでのところ、彼の新居に私が行くことが多いです。
彼の新居の町が私の好きな町でもあり、ちょっと郊外だし、のんびりできるから、というのが主な理由。
それまで使っていた家電などは全部そのまま元の家にあるので、彼の家電の買い物などを一緒にしたりしました。
引っ越したとはいえ、家電をそろえたりと彼の出費が多いこともあり、とりあえず必要なものだけはじめにレンタカーで運び、持っていきそびれたものなどは私が電車でちょこちょこ持っていっていったりしています。
なので、元の家(私の家)には彼の荷物が普通にまだまだあります。ぱっと見の量としては、引っ越す前とさして変らず。
でも私はこの縦長の振り分け2DKを一人で使わなくてはなので、いま必死で、ちょっとづつ物を移動させたり整理したり、そんなことを日々しています。
さて、別れたわけじゃないけど一人暮らし。どんなことが変ったのでしょうか。
1.寂しいw
はい、実際寂しいですw 今までは、帰ったら「ただいま」だし、とりあえずちょっとでも会話があり、時間なくても少し冗談言って笑ったり。タイミングが合えば夕飯一緒にしたり。そういうのがなくなったわけです。普通に寂しいw 一人暮らしもいいねなんてなんで言ったのか、と3日に一回くらい思ったりしますw
2.ほとんど会わなくなった
これは別々に暮らしていることに加えて、彼の家が遠いからです。時間にしたらそこまで遠くないんだけど、方向がまるきし逆なので、仕事帰りにちょっと会うとかっていう地理的な関係にないのです。土日は向こうの家に泊まりに行ってますが、土日両方潰しちゃうと私のほうの用事(家の片付けとか)が全然進まないので、泊まる回数は減っていきそうな気がしますw そうするともっと会えなくなるよねぇ。いままで空気のように毎日顔を突き合わせていたので、週末べったり一緒にいたとしても、ほとんど会っていない感覚になります。さみしいw
3.なぜか連絡を取る頻度も減った
うーん、なんででしょうかw 一緒に住んでた時は、一緒に住んでるくせに結構日中昼休みとか下らないLINEトークしたりして遊んでたんですけどね。あと、「これから帰る」とか「ごはん食べた?」っていう連絡、なくなりましたw 関係ないもんね、いつ帰ったってw ごはんもどうせ一緒に食べれないし。 やっぱり一人暮らしになると自分に集中し始めることもあり、距離がぐっと出ますね。良くも悪くも。だんだんそのうちこの新しいペースにも慣れていくんだろうけど。
4.時間が増えた
これは大きい。二人暮らしだと、家に帰ってからなんとなくおしゃべりしたりとか、なんとなくご飯一緒に食べたりとか、そんなことばっかりなんで、隙間時間って案外取るの難しいんですよね。でもそれがないので、遅めに帰ってきてもゆっくりできます。お風呂も長風呂でも気を使う必要もないし。この辺りは普通に一人暮らしのメリットですね。時間を有効に使えます。逆に言うと、何か集中して取り組みたいことがあるという人は、同棲はしないほうが賢明です。結構時間使います。たのしいけどね。
5.家事は案外増えもしないし減りもしない
私たちは基本自分のことは自分でというスタイルだったので、洗濯など家事の量はほぼ変りません。でもゴミだけは、私より早く家を出ていた彼がやってくれていたので、これは増えました。でも、ペットボトルとかそんなに溜まらないので、二回に一回のゴミ出しで十分になったものもあります。それに、食品など、相手が勝手にいろいろ買ってきてしまったりするものの管理とか、なんとなく二人分の食器を洗うしまう、などの手間は減っているし、お風呂も一人しか使わなければ大して汚れないので、そういったところは逆に楽になった気がします。食事も一人自分が食べる分だけさっと作るとか、買ってきちゃうとかなので、食事の手間も減ったかな。
彼もお風呂掃除はじめ、家事は基本やってはくれていたので、やはり総量が減るということかもしれません。
6.自分のことに集中するようになった
一緒に暮らしていたときは、結婚していないとはいえ、やっぱり単なるルームメイトとは違って、二人でひとつみたいなところがありました。だから、何かっていうと、半分は彼のこと、あるいは二人のことをいつも考えていました。あらゆる選択がそうでした。スーパー行ってもそうだし、なんか広告見ても、これ彼欲しがってたなとか、そういうのが、常に二人単位というか。でも、一人になってみて、ああ、自分のことだけやってるってこんな感じだったなって思いました。もちろん今だって彼のことも考えます。今度会ったらこの話教えてあげよう、とか、今度行くときあれ買って行こうとか。でも割合はすごーく減りました。自分がメインです。こっちのほうが普通だとおもいますけど。だから、そういった意味で自分を見つめなおす良い機会になっています。
こんな感じでしょうか。
うーん、同棲解消、一緒に住んでるときは喧嘩もしたし、しんどい時とか、めんどくさい時いっぱいありました。正直。一人暮らしだったらな、っていう時いっぱいありました。
でも、二人で一緒にいる、生活を共にする時間って、恋人に限らず、結構かけがえのないものです。人生の中の貴重な時間です。だから、同棲している人は、そのことをよく考えて過ごしてほしいなと思います。
とは言え、一人暮らしになるとさみしい半面、自分の形をもう一回よく捉え直すことができるし、それはそれで大切な時間です。
どっちが良いとも一概には言えなくて、やっぱりライフスタイルやライフプランによって考えることかなって思います。
ただ、結婚したいなら、同棲しないほうが良いと思う、ってのは言えますw
なんか、遠のきますよ。同棲してる間は結婚の必要性あんま感じないし。その上、同棲は結婚よりある側面でシビアだと思います。あくまで自立した個人でいないといけませんからね。せまい一つ屋根の下にいて、しっかり自立って結構ペース保つのむずかしいです。そしていつでも別れられますからw
最後に番外編をひとつw
7.家がさむいw
家がさむい!!!人の体温とか気みたいなものって、すんごいあったかいんですよ。それか、単に二部屋でエアコン使ってたのが使わなくなったからかもしれないけどw とにかくさむい~~ それで電気ストーブを買いましたw
シーズヒーターという遠赤外線が出て、壊れにくいという電気ストーブの最上位機種w
今日届いたけそ、ひなたぼっこみたいでぬくぬくです。電気ストーブの暑っっていうのがないです。身体の芯から暖めてくれるので、すんごい気持ちいいです。
普通の電気ストーブより立ち上がりが若干時間かかりますが、1分もしないであったかくなります。また、首振り機能や、W数による温度調節も可能。こちら↓のものはeco運転モードもあり。80cmと縦長ですが、上まで銀色のせいか、せまいキッチンに置いていてもほぼ圧迫感なし。縦長なので、座って当たると肩まであったかい。
これならさみしさもちょっとはやわらぎそうw
お勧めです。
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