黄色いたてがみは今日もゆく

もっと自由な生き方を探すブログ

もっと自由であるために真面目すぎる事を反省してみる

ここのところ思ったのですが、なんか真面目にやろうとしすぎてないかい、自分?と。

 

これは、私だけでなく多くの人に当てはまると思うんですけどね。

大人でいるために一生懸命真面目にやろうとしている気がするのですよ。

 

うーん、いつからこんな真面目になったんだw

 

色々と思い返してみたんですけど、大人になるにつれて段々と身構えることが増えてきた、そんな気がしました。

失敗しないようにしよう、誰かに何か言われないようにしよう、ちゃんとしよう、ってそんなことばっかりに振り回されてるような気がするんですよね。

 

それで、そのことを考えてたら、ちゃんとしよう精神って、結局は恐怖心の裏返しなんじゃないかって思ったりしました。

 

冒険したり、アホやったり、自分を貫いたり、そういうことが段々できなくなる。

周りから逸脱する恐怖心とか、大人としての責任を果たせないんじゃないかっていう心配とか、この歳だったらこれができないと、とか、なんかややこしい考えをしてるんじゃないかって。

 

思い返してみると、子供の頃ってもっと自由だったよなぁ、って思いました。

遊びたいから遊ぶとか、お腹すいたとか、そういう自分のまっすぐな欲求に自分自身がすごくストレートに反応してたなぁって。

怒られることとかもあるんだけど、それでも自分のその時の思いやフィーリングと自分自身に距離がないというか。

 

なのに、なんでなんかこんな狭っ苦しいところに自分を閉じ込めてるんだろう?って。

 

大人は確かに色々と責任があるし、やらなきゃいけないこととかも多い。人に迷惑をかけないとか、そういう人として最低限のことはきちんとやるにしてもそれ以上に真面目になって必死になる必要ってどこにあるんだろう?と思うのです。

 

私は仕事の帰りが遅くなることがしばしばあるんですけど、そうすると木曜とか金曜とかって、駅の中に飲んだ帰りの人が結構いたりするんですよ。

そういう人たち見てると、なんか老若男女、結構下らない話でケタケタ笑ってたらして、学生みたいなノリの人も多くて。

おじさんとか、会社では誰かの上司で、人によったら係長とか部長とか、そういう立場の人もいるんだろうけど、お酒でタガが外れるとみんなただの人でw

しょーもないオヤジトークとかしてたりねw

 

そんなもんだと思うんですよね。みんな楽しいことしたいし、いつも笑っていたい。

でも、飲んだときは出来るけど、昼間はピリッとしてなくちゃってなって。

なんか、そういう姿を見てると、マトモとか、普通は、とかそういう範疇で生きていても、結局はみんなで大人ごっこしてるにすぎないと思うんよね。

 

もちろん社会のルールとか、常識とか、そういう要素と相まって、大人ごっこする必要もあるわけなんですけど、所詮ごっこ遊びと大差ないんだから、なんか真面目に真顔でカリカリやるのやめたほうがいいよね?って思ったんです。

 

どんな風に生きても、いけないなんてことはなくて。もし、何かに制限を貸しているとしたら、それは自分で自分にそうさせているだけなように思いました。

ねばならない思考を自分で自分世界のルールにしてるよなぁってつくづく感じました。

 

それで、もっと自由であっていいと、自分に言い聞かせてみることにしました。

自由って結構難しい概念だと思うけれど、トライアンドエラーで少しづつ自分に合った形を探して行けたらいいよね。

 

まずは真面目にやらなきゃいけないって囚われているところを探すところから。そしてそれを一つ一つ破って行く。そういう取り組みが必要だと思うのです。

人生一度きりだし、もっと自由に楽しく生きて、後悔なく進みたいなぁと思います。

 

自由についての語り方は色々あるけれど、私の中では、スキップしてる感じw

スキップして仕事行って、スキップしてランチして、スキップで帰ってくる。

そんなテンションで日々送れたら最高幸せだよね。

 

そこがどこであっても、何をしていても、スキップできる心の状態で生きて行くのが私の理想ですw

 

時には誰かと一緒にスキップして、また一人でスキップする日もあって。雨の日は傘をさし、風の日は追い風に乗って、そんな風に過ごすのが、なんというか地球のくらしなのかなぁと思ったりする今日のの頃です。

 

実際に道をスキップするのは正直だいぶ恥ずかしくて無理だけどねw

 

読んでいただきありがとうございました♪