パートナーとの関係を劇的に良くする方法
ここのところアクセス解析のことばっかりに記事が終始していましたので、今日はパートナーとのことを書きたいと思います。
私は、付き合って11年で、6年間同棲したパートナーがおります。
こ数か月前に同棲を解消し、現在は徒歩20分ほどの距離にそれぞれ一人暮らししています。
同棲解消についてはこちらに書いてます。
私の場合、はじめの4~5年は、彼の家に私が入り浸る感じの生活で、週の半分か、多い時には一週間ずっと彼の家で過ごすというパターンでした。当時は彼はひとり暮らしでしたが、私は実家暮らしでした。
その後、私が実家を出ることになり、利便性&家賃節約のため、同棲を始めました。
同棲中はいろいろありました。喧嘩も一杯したし、いやになったことも、別れようかと本気で思ったこともありました。
それは、お互い狭い空間で寝食を共にしていたことによるストレスもありましたけど、今思えば、私自身の心の問題が主だったと思います。
同棲解消に当たり、先に家が見つかった彼が引っ越し、私のほうはなかなか良い物件が見つからず、半年くらい同棲していた元の家で生活しました。
その半年間は、冬だったこともありますが、ちょっと置いてかれた感もあり、結構寂しかったです。
新居に引っ越してからは、気分も変わり、自分だけの空間で、だんだんのびのびしてやっていけるペースになり、今は楽しく暮らしています。
とはいえ、はじめはペースに慣れず、ギクシャクすることもあり、逆に喧嘩が増えた時期もありました。
その間、私自身、いろいろ自分の心の整理みたいなものをしていたこともありますが、あることに気づいてから、劇的にパートナーとの関係が良くなり、喧嘩も全くしなくなったので、その方法をシェアしたいと思います。
私の場合、喧嘩の原因は、大したことじゃない場合がほとんどでした。
彼はお酒も飲まないし、浮気もしないし、糾弾すべき問題みたいなのからは縁遠い人で。よく人からは、優しそうな彼でうらやましい、と言われました。
なのに、私の心の中は結構違って、優しくないとは言わないけど、結構デリカシーないこと言うし、ぶっきらぼうなとことか、いろいろ大変なんですよ実際は、みたいな感じで思っていました。
心のどこかで彼に対して不満があり、でもひとつひとつは小さいことだから、なんかスルーして溜めちゃったり、溜め込むもんだから、ちゃんと適切に「もっとこうしてほしい」と言えずに爆発したりw
とにかく些細な言い方とか、言ったこととかに引っかかって、ムキーってなって喧嘩になる、というパターンを密かに繰り返しておりました。
いろいろそういうことについて彼と話し合って、何とか改善しようと散々いろんなことを試してみたんですけど、これといって効果がなく、また繰り返してしまう、という状態でした。
それが、あることを知ってから、劇的にそういうことがなくなったのです!
そのあることとは「代償行為」というものです。
たまたま心理学に詳しいある知人と話していた時の事。
彼と結構喧嘩しちゃうみたいなことを話していて教わりました。
ネットで調べてみると、自己防衛である防衛機制というのがあるんですけど、その一種のようです。
防衛機制(ぼうえいきせい、英: defence mechanism)とは、受け入れがたい状況、または潜在的な危険な状況に晒された時に、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズムである[1]。欲求不満などによって社会に適応が出来ない状態に陥った時に行われる自我の再適応メカニズムを指す。
というものです。自分を守ろうとして、ちょっとこんがらかったことになりがちなやつです。
代償行為というのは、この仲間で、自分が本当はしたいことができないために、それをできそうな相手に代わりにやっちゃうというものです。
例えば、父親に不満があるけど怖くて何も言えないとします。その不満や抑圧された感情を、学校の教師に歯向かうことで代償する、みたいなことです。
誰を代償の相手とするかは、パーソナリティーにもよると思いますが、甘えられる相手や、身近な人がやっぱり多いのかなと思います。
私の場合はパートナーにその矛先が向いていたんです。
代償行為という概念を仕入れてから、彼に対してイラっとしたとき、心のなかでどんな思いがするか、どんな感情があるかについて良く観察するようにしてみました。
そうすると、いろいろな場面で、本当は目の前にいるパートナーではなく、過去親に言われたこととダブっていたり、その日あった嫌な事が原因だったり、そういうことを発見できるようになりました。
一番わかりやすかったのは、久々に妹と会った日の事。
私と妹は、180度タイプが違うので、たいてい「なんでそうなわけ?」というのがあるんですw
甘ったれてて、依存的な考えをしがちな末っ子の妹なのですが、自分の態度に全く無自覚で。自覚したいとも思っていないというなかなか困った人で、彼女のわがままでとばっちりを受けることも多々ありました。
だから私としては、本当は言いたいことが一杯あるわけです。
これまで、それを正直に話したこともあったんですけど、彼女には全く通じないんですよね。良かれと思って言っても、嫌なこと言われたと決めつけられたり。
なので、最近はお互い大人だし、とあまり言わなくなってました。
その日も、いろいろ突っ込みたいことあったんですけど、心に収めて帰ってきました。
自分では、言わなかったことは良かったと思うし、うまく心に収めているつもりでした。
でも、どっかにひっかかりがあるわけです。
言いたかったことや、そんなことでどうするんだろうっていう姉的心配とかが、なんとなく頭をぐるぐるしてしまったんですね。
で、次の日。
彼とLINEでやり取りしていて、また些細なことに私が引っかかってしまい、喧嘩調になりました。
なんでそんなこと言うの?
だいたいさ~
みたいな。
それで気づいたら、彼のここが悪い、これも嫌、これは直して、と、彼の悪いとこ探しみたいになっていたんです。
自分でもなんでそんなにつかかってしまうのかよくわからない感じもありました。
それで、ひとしきり喧嘩して疲れて、良く考えると
あ、これって、本当は妹に言いたかったのに何も言えなかったから、代わりに彼に色々言って解消しようとしたんだ、と思いました。
それに気づいて、うわ、バカだなって思いましたけど、本当にそれやっていたんです。
そうやって、少しづつ分析&観察を繰り返していたら、そもそも彼の言動に引っかかること自体、過去のトラウマと紐づけて、勝手にバイアスかけて解釈した結果だということがよくわかってきました。
もう一つ例を挙げると、
私は出かけるとき、彼より自分の支度が遅いとちょっとテンパる癖があったんです。
今までは、なんだかんだ言って、待たされると彼がちょっと不機嫌になるせい、と思っていました。でもよーくよーく冷静に観察してみると、彼は特に不機嫌になっていないんですよ。で、あれ?じゃあなんで私一人でテンパってんだろう?って考えてみたら、うちの父は、私が子供のころ、母の支度が自分より遅かったり、何らかの理由で待たされたりするとめっちゃ不機嫌になって「早くしろよ」みたいなことを感じ悪く言ったり、最悪の場合、キレたりする人でした。
それを見ていて、子供の私はいつもはらはらドキドキしていました。
母の支度&出かけるためのもろもろの準備の進捗を見ながら「あー、このペースじゃまたお父さんがキレるや。。」とヤキモキしていたんです。
父が怒ったり、不機嫌になっているのを見るのは、私にとってはものすごい不快であり、恐怖でもありましたから。
その少女時代の傷を、大人になって、似たようなシチュエーションで勝手に感じていたわけです。父親のポジションをパートナーに投影して、勝手にテンパっていたわけです。
あちゃー。
でも、こういうことって、不思議で、自覚すると、ふっと消えてしまうんですよね。
ただ気づかれるために、何度も似たシチュエーションで「思い出して!この感情未消化だよ!」って言ってきてるみたいな感じがします。
それで、そのことに気づいてから、出がけにテンパることは一切なくなりました。
なんだろう、単に「そっか、出がけに父が不機嫌になるの見るのすごい怖かったよね」って思って、そのことを感じただけなんですけどね。それも一度だけです。
ただ穏やかに「あー、子供のころそうだったなぁ」ってしみじみ思った程度。
それで、何かが解消されて、彼が出がけに待たされると不機嫌になっていると感じることも一切なくなったのです。
こんな感じで、代償行為、何かの置き換え、というものによってパートナーとの関係がうまくいかなくなる場面、喧嘩しちゃうことが、きっと誰にでもあると思うんです。
でも、代償行為だって気づければ、彼を責めなくなるので、喧嘩にならないし、なぜか、そういうシチュエーション自体がなくなっていきます。
また、そのとき感じていることをありのままに感じられるようにもなります。
そうすると、リアルタイムで自分がどんなストレスを感じているのか把握できるので、適切に対処することができ、色々と大して問題じゃなくなります。
良いことずくめw
その結果、関係が劇的に良くなって、今では付き合いはじめくらいラブラブになりましたw
今までは、何か嫌なことがあると、彼のせいにしていたのがなくなって、彼を全面的に肯定し、尊重できるようになりました。しかもすごく簡単に。
代償行為について気づいていくプロセスは、結局、「一切を人のせいにしない」という態度に繋がっているのだと思います。
嫌なことがあったとき、原因を外に求めず、まず自分の中を探る。
「問題の原因はすべて自分のなかにある」と考えていく方法です。
でもこれは自分に厳しいとか、自分を責めるということとは全然違います。
ただ、自分が本当に感じていることを深くまで見て、核を見つける作業です。
そこには、自分を含めて、誰に対しても責めるというアクションが入りません。
ただ、あのとき悲しかったな、とか、怖かったな、とか、そういう風に思うだけで、自分の感情だけを発見できればOKなのです。
焦点は自分自身なので、実際の嫌な事をしてきた相手に着目することはありません。
(これは不思議なんですけど、目的が違うからなのか、よくわかりませんが、例えば先の父が出がけに不機嫌になるというトラウマ的なのを思い出した時も、だからと言って父がどうのという思考にはなりませんでした。努力してそうだったわけではなく、自然にならなかった感じです。なので、なんか健全さが失われません)
自分の中に原因があるとして人と向きあう。
他人は自分の鏡だといいますが、つまりはこうやって、自分が自分の心を勝手に相手に映して見ているにすぎないのですよね。
それがわかれば、いろんな問題が消えていきます。
ぜひ、いろんな人間関係で活用してもらえたらな、と思います!
では、ずいぶん長くなりましたが、
読んでくださってありがとうございました!